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4月, 2021の投稿を表示しています
  あらまぁ、です。今年も1/3終わってしまったじゃありませんか。 やりたいと思っていた事の1/3は出来たのですか?いやいやまだまだですね。もっと楽しいことをしたいですね。覚えたい事もいっぱいありますね。身体も病を理解した上でだけど、もっとビルドアップしたいし。欲張りすぎでしょうかね。 今年に絶対立ち上げたかったファミリーのサイトはなんとか出来て、ビデオレターも置けるし、とにかく残せる写真やビデオテープをデジタル化して次世代に残す準備は出来て、順に掲載を始めたけれど、懐かしくて進まないこと進まないこと。 もちろんclosedのサイトなので他人様に見られる事もないので、恥ずかしい事も無し! 合わせて、年寄りから順に一人一人”生まれてからmovie”を作っているのだけれど、ん?これってもしかして、人生終わった最後に皆様に見ていただく、アレ・・・・・・・じゃないですよ。 だって、こんなに格好良い人生じゃなかったもん。 ・・・ってくらいに編集で”盛って”ます。
  ほんと、旺盛だったよ。菜の花が種を作る感じ。子孫繁栄が生き物が生きるベースなんだろうけど、それにしても力強い種をつくるもんだなぁー、と感心。だから多少の強い風にも抵抗力が高いんだろう。 昨日午前中までの雨で大きな株に育ったかすみ草の何株かが倒れてしまって<可憐=弱い>んだろう・・・と思ったら大間違い。少しは手助けしたけれど、夕方にはきちんと背筋を伸ばして姿勢を戻していた。 見かけで判断するな、って見本だと思ったよ。
  印象的ということ。 ビジュアルな視点だけでなくて言葉もあるだろう。人の行動もあるだろう。香りも「印象的」は使われる機会が多いかな。味もそうだね。  昔のblogの写真整理をしていて出てきたもの。人様には印象的に感じないかもしれないけれど、自分のなかでは撮った時の状況とか心持ちが思い出されて印象的。 あとどのくらい印象的な風景や経験に出会えるんだろうね。こころを磨いて頑張んなきゃ。
  昨日、走っていて道端も道端。あまり人の通らない陸橋の階段のすみに咲いていた。コンクリートの割れ目から芽を出して、ここのところ雨も降らないから結構頑張ったろうね。 多分、この花は「ユウゲショウ」。たまに道端で見る花だけど、まとめて咲いたら可愛いだろうと思って、次に通った時には種を取ってこようと思います。 うちの子になってくれたら群生させて大事にしますよー。
  こうしてみると普通の花壇なんだけど、それぞれ毎日色々な事があって面白い。 植物それぞれに生まれてから枯れるまでの一生があるわけで、その途中では病になったり、隣の植物と地下で根を張る場所の取り合いになったりね。  本当は植物同士もっと間を空けて育てるのがセオリーなんだろうけど、このくらいギッチリとしているのが好きなんだよねー。  その代わり色々トラブルが起きるので、その予防に手間はかかるけど。でも、その手間が楽しいんだからしょうがないねー。
  朝の光には”力”があると思っていて、時間が無いなかでも写真を撮ったりmovieを撮ったりしていて、つい忙しくなってしまうんだけど。でもそれを上回る心地よい時間が過ごせるので大好き。 スイスチャードの花?が咲きそうだったので撮ってみたよ。 食べるには、もう遅いんだけどいいもんだね。きれいな姿を見るのは。
  勘違いだったか、と思う事があってね。メロンアイスなんだけど懐かしいも懐かしくて、小さい頃に食べたな、と思っていたら、発売は中学生の頃。って事は記憶の勘違い。そういう類の事って多くて。ちいさい頃は世の中も貧乏、さらに家は特に貧乏だったから、必需品以外は買えなかった、のが正解。 きっと色々叶えられなかった当時の願望が、記憶を飾ってしまっているんだろうな。 まあ、でもチープさが旨かったから良し!
  ちょっとちょっと、どうしちゃったの? ってことでもなくて、庭好きの知り合いから趣味に合わないだろうけど、ちょっと刺激的な感じのものを部屋に飾りたいので作ってくれないか。のリクエスト。 暑い日の夕方に花を冷ますのためシャワーしているのをベースにして作って。 これからキャンバスにプリントして枠張りしてあげる事にします。たまには面白かったですよ。
  正解が無いものって面白い。 物事、”すっきりきれい”ばかりが良いわけじゃないんだけど、絵を描くのもそれぞれで考え方があって、綺麗に忠実に描きたい人。それなら写真でいいじゃないか、と考えて自分のイメージでそのものが持つ内面を描く人。それぞれだから面白くて古代から色々な凄い絵が続いている。 写真も同じだと思っていて、色々とトライしてみるけど「これで終わり」ってところが無いから創作って面白いんだね。
  いつもの「初物シリーズ」です。今回はスナップえんどう。すこし湯がいて塩をパラッ!なんて美味しいんでしょう。美味しいも美味しいですけど、命を頂いている感じがとてもします。 これだから、初物は嬉しいんですよね。 ちょっとづつ収穫できるのも栄養制限がある身としては嬉しいです。 惜しんで頂きま〜す。
条件の非常に悪い場所に生えた植物の「ど根性◯◯」。 家を囲む塀にアイビーを回しているけれど、その地面の隙間に飛んできた種で咲いた”金魚草”。狭い道なので車はギリギリを通るし、もしかしたら何度か人に踏まれているかもしれない・・・けれどこの姿。立派なものです。 ここまで成長すると、もう誰も踏みません。褒めて通る人さえいます。 月並みだけど、自分もまだまだ頑張らなきゃと見ていて思いましたよ。
  まったく貧乏性なんだから、自分。 室内の伸びすぎた鉢植えの形を整えると、葉が切られちゃうわけで、でも、可愛そうでそれをそのまま捨てられなくて。 つい、液状胃薬の瓶に投げ込んで、水だけ取り替えていると根が出て、また土に植えて・・・・って。 だからモノが増えるんでしょ!!
  <The light is always there/ 光はそこにいつもある>と思っていたいんだよね。世の中も自分の身体のこともそうだけどね。大きなこと小さなこと。悲観するのはいつでも出来る。 でも「光はあるんだ」って思うことは、頑張らないとできない時期もある。だからこそ思っていたいんだよね。・・・という意味も込めて絵にタイトルをつけました。
  「お気に入り」ってあるもので、自分で描いていて何だけど、この鹿。大人なような子供のような感じが気に入っている。上手いとか下手とか言うことでもなくてね。 場所も同様。何故と問われても答えようがないけれど「ここは懐かしい」とか「心地良が良い」とか。 反対もあるもので、誰もが「素敵だねー」って景色のなかで、自分は落ち着かない気分の場所があったり。 「お気に入り」がいっぱいあればあるほど幸せを感じるのか それとも強い「お気に入り」が少しでもあるほうが幸せなのか。 人、それぞれだろうけど・・・あなたはどちらですか?
  冷凍みかんです。去年の頂きものを一つだけ冷凍しておきました。 味は「美味しかったのに勿体なかった」けれど、感覚的には「面白くて満足」。 同じものだけど感じ方とかアプローチの仕方で物事って変わるから面白いな〜。
  やはり古い人間だな、と自分を思う。畳が良いもん。特にこれからの暑くなる季節。寝転がると、いつも同じような温度で心地良い。先日も飾ってあったミニカーを寝転がって畳に置いたら、あの頃は安っいブリキのおもちゃだったけれど、子供の頃の思い出が蘇ってきたよ。と言ってもフローリングのコーナーの一部を高くして、畳にしているだけだけどね。 本当は畳の部屋が寝転がり用に欲しいけどなぁ。それで縁側からの風を感じながら座布団を枕にして静かに”うたた寝”したい。
  「いつもの」ってものは便利で・・・あっ、酒場の「いつもの」じゃないですよ。ワークアウトのコース途中にある、前にも一度写真をここに上げた古墳の様子。緑の様子が変わるのを見ていると季節を感じられるんですね。まだ今の緑は暗め。もう少しすると明るい緑に変わってくる。田舎で空も広いのでワークアウトのコースの中でも心地良い場所のひとつ。 そろそろゴールに近い場所なので、ここで一息つく場所。 今の時代は「いつもの」って、場合によっては宜しくないことも多いのだけれど、こういう「いつもの」は誰にでもある良いものだね。
  「生きるための興味」 なければ生きていけないわけでも無いけれど、あればもっと自分らしく生きる事ができるための”支え”みたいなもの。新聞・web・etcetcなんでも自分をひっぱってくれそうなものを集めて、PCでもスマホでもどこからでもいつでも覗けるようにしてある。読む時もあればタイトルだけ眺めて元気になれる日もある。 なんとなく頼りにしているもの。
  花を触っていると何度も、今のシーンは見た事も経験した事もあるぞ。って思ったりする。白昼夢ではいけれど意外と鮮明な感じで気持ち悪い時もある。 きっと毎年同じような世話をしているから、勝手に自分の記憶と今を”まぜこぜ”にしているからなのかもしれない。 それはそれで同年代がひとりふたりとゴールして、あっちの世界に行き始めている中では、今を感じられる幸せな事だと思ったりもする。
  地産地消・・・なんてね。もう実の付き始めたイチゴの苗を買って、それが食べごろになったので、美味しく頂きましたって話なんだけどね。 どうも貧乏性で今の豪華な大ぶりのイチゴは、美味しいんだけど気が引けちゃう。これだってブランド名がついているイチゴだけれど、甘みと酸味のバランスが”昔者”にとっては良い感じ。 トマトなんかもそう。今のものは完熟で出荷されるので、完熟の甘さと香りで美味しい。でもたまにだけど、少し未熟トマトに砂糖を振りかけて、 ”昔のごちそう” にして食べる。 実際には旨くないんだろうけど涙腺が緩んでしまいそうだよ。
昨日から外の子になりました。今までの寒い冬は室内の暖かい部屋で過ごしていましたけれど「そろそろだね」って言われて、持ち上げられたと思ったら、それでも玄関先の雨が当たらない場所ですけど、太陽がサンサンと当たるところに置かれました。 外も気持ちいいですね。まだ、寒い夜は玄関に取り込んでくれてますけど、それもそろそろ無しになるんでしょうね。そうしたら外の皆さんと同じコーナーに行けるのかなぁ。 byベゴニア
魔力です。始終書いているから「またか」って言わないで。種まきの事です。とにかく面白くなってきました。 もともとのガーデンデザインは色味を抑えたイングリッシュガーデンに、ところどころ差し色を多めに使って”少し洒落た系”を目指して、ってものだったのに・・・。 今はこの様。種から育ててここまでくれば、野暮ったくても庭をつくる楽しさは倍増。ほんと、お安く遊べてリタイア後の時間の過ごし方にはもってこいですよ。 さすがに次は、育てる品種を増やして”組み合わせの妙”も欲張っちゃおうかとは思っていますが。  
  昨日、「性分」なんて言葉を使ったら、知り合いが「そう言えば最近は普通の会話にあまり出てこないよな」との感想。う〜ん確かに。今はそうそう自分の生まれつきで、そのなかでもマイナス傾向の性質は昔より他人には見せなくなっているのだろう。 でも、本当はそうしたところに、その人を愛すべき部分があるんだろうけどなぁ。 “晴天の桜”も良いですが、”花曇り”のさくらは、もっと大好きです。
  「狙いはあっち」だったのに。 この時も興味は奥の次の林に向かう道。でも、つい花があったので入れた感じ。 そういう事なので頭のなかは、この先に歩く少し暗めの林。こういう感じのところには、何か感覚に引っかかる”物”とか”匂い”とか”音”が有りそう、って期待して、入る前に一枚と思って撮った写真。 花好きは”性分”だから仕方がないね。
  いつでも「思ってもみなかった良いこと」で不意を突かれるのは楽しいもので。 生活の中でも数年に一度くらいはドカンとあったりするけれど、そんな大げさでなく、心にさざなみをつくる程度なら、これは自分の心の持ちよう次第ってところもあるわけで、昨日は植えた覚えのない球根が開花して意外とキレイで、それはそれで良し!!
  贅沢なもので、暖かい春が訪れれば幸せだと思っていたのに、最近では木々の隙間から降り注ぐ木漏れ日に包まれて・・・なんて思ったりする。きっとその頃になれば落ち葉がカサコソと舞う初秋に里山の湿った香りを感じたい。なんてことを思ったりするんだろし。 ほんと贅沢者だと思いますが、反面、こんな事ばかり考えられる人生の年代に入れたのか、と感慨深いものもありますよ。
今年のオールスターズを集めました。今年に入ってからはポピュラーな品種で(今年は菜の花→カレンジュラ)狭い花壇が埋め尽くされていて、悪くはないのだけれど、やはりシーズンに幾つかは、少〜し珍しい苗が欲しくなる。 それが昨日。普通に売っているものだけど、のんびりゆっくり丁寧に育てながら、一緒に春から夏を感じたいと思いますよ。