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10月, 2020の投稿を表示しています
  最近の飴ちゃんです。前にも書いたけれど訳あって水分が自由に取れないので、ビールを代表にアルコールは美味しすぎて自主規制。なので飴ちゃん好き。”甘いもんでかたきを討つ”って訳じゃないけどね。”大酒飲み”が”極小酒飲み”に変身したら甘党になっていました。って話。それにしても最近は飴の種類も多くて、先日100均で数えてみたら40数種類でビックリ。大ジョッキをビールの代わりに飴で満たしてみようかしらん。
  ComeBack "Quality Life At The Idobatalife"〜旧ブログから〜 「人生」と書いて”さまよう”と読みます。私だけ。いつまでたっても、惑わず生きていく事は大変。不惑の歳ははるか昔に通り過ぎて遠い昔。でも、ウロウロするのはそんなに悪くない。歩いていれば色々なものが落ちているので、拾いながら歩くのは面白いよ。
  引っ越し。この言葉を聞くと、なんとなく鼻の奥がツンとする。旧のブログに書いたような気がするけど、子供の頃は父親の仕事の関係で長くて2年毎に転勤。そのたびに仲良くなった友達にバイバイを繰り返していたから。もう半世紀以上経過しているわけだから、引きづらなくても良いと思うけど。言葉の魔力ってのは凄いんだよなぁ。でも行く先々に用意された家(事務所の奥に自宅)には必ず庭があって、それぞれ気候も違う場所だから、色々な花や樹木があって、果実が実る木があったり。前に勤務していた人の奥さんが花好きだったのか、春になったら花壇が花にいっぱいになっていたり。そんな経験が今の”花好き”にさせてくれたのかも、と思って。それはそれで幸せな事だと思っていますよ。
  手前左が発芽したばかりのラナンキュラス。右が先週のブログに書いたカモミールの一つ。奥が2年前からのプリムラ。皆、暑い夏を乗り切って元気になってきました。”小さいものシリーズ”でミニミニ鉢に植えていますけど、すぐに大きくなって植え替えでしょう。でも今は小さい鉢がちょうどのプロポーション。少しだけこのまま楽しませて下さい。
  ComeBack "Quality Life At The Idobatalife"〜旧ブログから〜  最近”ルーティーン”と言う言葉は昔と違って,ポジティブな意味に使われる事が多いようです。メジャーなスポーツ選手が使うようになってからでしょうか。私のそれは朝のストレッチ 。・・・と、書いていたのは4年前。その後、朝のルーティーンは筋トレになって、今はいずれもちょっとサボり気味。(昼間はやってるよー)朝のそれは気持ち良いし、身体がちゃんと目覚めるし、“やること”が大切で“おまじない”程度でも、ルーティーンにしなきゃ駄目ですよね。4年前の記事を読んで反省。
  細かい事はキライじゃないのに、種まきだけは苦手で。でも最近、ちょっとしたコツを覚えて、それに凝ってしまっています。狭い庭なので、もう置ける場所が無いくらいに蒔いちゃいました。写真はルピナス。ちゃんと種袋に書いてある日数で発芽しました。変われば変わるものです。さて、こんなにいっぱい苗を作っちゃって植えるところが無い・・・かも。どうしよう。馬鹿だねぇ。でも、苗を1ポット買う値段で、いっぱい種の入ったのが1袋買えるのでお得なんだよなぁ。”コツ”ってのはいいもんです。
  今日から旧のブログ内容の再掲載を始めます。時が過ぎて感覚に合わないものは(歳を重ねて?)少しだけ手を入れて、今の自分に置き換えてみようと思います。まずは初期のブログ記事から。・・・以降はランダムになります。 ComeBack "Quality Life At The Idobatalife"〜旧ブログから〜 「しあわせのふくろう」数年前に買ったものです。いつも玄関脇に飾ってあります。なにも幸せが欲しくて・・・と言う話ではなくてショップで心に引っかかって買っただけのですが。もう、今では庭の相棒みたいな感じです。
  ガーデンシクラメンの蕾です。花弁の小さいのが丁寧に畳まれて、ギュッとしています。これを見ると、昔のロンドンの紳士が傘をきちんと巻いて、その巻き方に”こだわり”があって多少の雨では開かない。なんて前に聞いた事をいつも思い出すんだよね。人が何かを思い出すってのは、思わぬものから繋がったりするので面白いんだな。そして、そういう想像力の引き出しがいっぱいあった方が、人生は楽しくなると思うんだよね。
  昨日のブログを書いていて思い出したことがあって。えんぴつ削りの思い出。画材で一番使うのは”色えんぴつ”なので削る機会は多いんだけど、馬鹿な中学生男子の頃。どれだけ長く削れるか、なんてのが流行ったことがあって、1本の長さの八割まで芯だけにした奴が居てね。馬鹿な遊びをしていたな、と思ってさ。それは間もなく半世紀前。えんぴつは高額なものでは無くなっていたけれど、遊びで使えば親に怒られる程度の安くは無い値段。今じゃ普通の”えんぴつ”さえ、使わない人が多いんだろうけどね。色えんぴつは楽しいよ。色を塗るには少し不自由なこともあるけど、その不自由さも楽しめる感じかな。
  描く絵は2種類で、絵本の絵っぽいものと、いわゆる花を題材にしてあるけど、ん?花?と、分かりにくい場合もある作品系のもの。この絵は絵本系。途中も途中なんだけど、ちょっと詰まっちゃって手が動かない。素人が何言ってるの、って感じだけど、楽しみでやっているからこそ、少し描くのを止めて他の絵に向かえる。プロだったら締め切りがあるわけで、止めるといっても、せいぜい一休み程度だろうから。もうリタイアした仕事は他の業界だったけど”締め切り”だけは辛かったもんな。なので、今はノンビリなのです。
  春から夏に咲いて楽しませてくれたカモミール。あちこちに種が飛んで秋の発芽シーズンみたいです。「おやおや、こんなところで発芽して」みたいな事が多いので、ある程度の大きさになったら鉢に移植します。カモミールはカミツレとも呼ばれて、長野県や秋田県の寒い地域でも特産になるほど寒さには強めだけど、移動できるようにしておけば大事に育てられる。せっかく一人で飛んで頑張って発芽したのだからね。
  たまにやるので、ここにも載せたりしているけど、終わりかけた花は種を作らせると、自分の役目は終わりとばかり、植物全体が早く終わりに進んでしまうので、その前にカットするんだけれど(最近の花苗は種が出来ないF1種が多いけど)その子達を集めて、最後の晴れ姿を撮っておく。ひとつひとつみれば確かに最後の姿なんだけど、その姿も綺麗だと思っているんだよ。楽しませてくれてありがとね。
  めがねって、女子さん達にとって上手く使えば、いくつになっても可愛らしく見せたり(可愛いおばあちゃんもいるよね)自分を上品に仕上げたり便利なグッズだよね。実は自分もメガネJiji。こちらは実用のためだけどね。仕事上、目を酷使していたので43歳で老眼を作ってから、まもなく20年。その間に近視と乱視も進んで、今では月が2つに見えて綺麗だよ。それでも普段は掛けていなくて使うのは老眼だけ。それが最近とても不便になってきて、人生初の食わず嫌いだった遠近両用を作りました。これがまた調子がいい。フレームも食わず嫌いだった丸っこいものにしたら、周りから若い若いとおだてられ、いい気になって。やはり食わず嫌いはイカンな、と改めて思った次第ですよ。
  養老院と呼んでいる大きな鉢です。花壇は季節が変わるとリニューアルするんだけど、いつも目指すのは「ゆるやかに季節が変わる」感じ。一気に変えてしまうのではなくて、少しづつ苗を入れ替えながら、数ヶ月でみれば、まったく変わっているんだけれど、一週間でみれば変わった感じがしない。そんな変え方。そうすると、まだもう少し咲ける花を抜く事になってしまうんだけど、その子達は”養老院”に植え替えます。余生はゆっくり咲いてて下さい、って気持ちです。
  さくらんぼのような香りがするチェリーセージ。優しい感じがするので弱そうとも思うけれど、実はとても強い子。生育期はさらに生命力が強くて、意図しなくボリュームを出してしまうので、これからも皆で応援していますよ結構な頻度でバッサリとカット。それでもどんどん伸びてくる。可愛い顔をしてしっかりした子。何気ない表情をしながら強いのは、自分もそう有りたいと思っている事。とても羨ましい。
  今から40数年前のこと。 ある企業で、山本さんと言う方の元、技術を覚えていた事があって、その方が入れるインスタントコーヒーを今も覚えていて。インスタントも当時は今と同じ顆粒だった時期。その粒を10粒マグカップに入れてお湯をなみなみ注いで。彼は「お茶みたいな味になって好きなんだ」と言っていたのだけれど、実はとても節約家。と言うか、同じ会社に努める奥さんに締め付けられていたのだと、後で知った。山本さんは40歳ちょっとだったろうか。自分は当時、まだ学校を卒業したばかり。社会人ってのは大変なものだと思ったのを覚えている。今の若者と違って可愛いものです。以来、薄いコーヒーを心の中で「山本コーヒー」と今でも呼んでいます。その1年後以来お会いしていないけれど、今でも節約老人でご健在だろうか。薄くて苦くない昔の思い出です。
  何年前かに作ったイチゴだとかチューリップだとか混じり合った花壇。こういうの、また作りたいと思ってはいるんだけど。開花とか時期を合わせるのが難しい。チューリップなんて幾日も咲くわけではないし。でも、上手いタイミングで景色が整った時は、この上ない 嬉しさでいっぱいになります。これも”庭あそび”の醍醐味かなと、思っていますよ。
ほんとに狭い庭だけど、毎年青じそが”こぼれ種”で出て、シソに困ったことが無かったのに今年はまともに発芽してくれず。自然の摂理はそんなもん、と諦めて一苗だけ整って出た芽を小さな鉢に植えて大事大事に。そうしたら意外と食べられて、最後には花も咲いて少しだけど紫蘇の実の塩漬けを堪能させて貰いました。ありがたいねぇ。
 流石にもう自分でも「枯れてきてるなぁ」と思いますけど、 枯れてきたなりに、鮮やかさを持っていたいし、 心には心地よさを持っていても良いと、還暦を過ぎたじじぃは思って 毎日をなんとか生きてますよ。